アーキグラム・インタビュー

新建築2005年3月号

EXHIBITION 現代から見るアーキグラム--回顧展によせて

今永和利(建築家)

8年ぶりにアーキグラムのメンバーに会った。ロンドン大学のピーター・クック研究室にいたころが懐かしく思い出され、あいかわらずの名調子を聞きながら楽しい時間を過ごすことができた。本来の形式はインタビューだが、実際は、昔の教え子を前に、今回の回顧展、アーキグラム、そして建築などについて来日した4人が紅茶を飲みながら午後のひととき気楽に談笑したというところではないだろうか。話しはすぐに横道にそれ、質問した内容からとてつもない方向に展開していく。しかし、これこそ、イギリス流、そしてアーキグラム流なのである。

アーキグラムとは?

インタビューの内容の前にアーキグラムの概要について手短に触れておきたい。ご存知のように、アーキグラムは1960年代の建築界を代表する6人の建築家グループである。そして、彼らが出版した雑誌の名前でもある。雑誌『アーキグラム』は1961年に1号が出版され、1970年に最終号である9号で幕を閉じた。アーキグラムは建築家の表現手段とは実際の建物を建てることによってのみならず、紙の上でもできるということをわれわれに示した。また、むしろ、紙の上に描かれたドローイングのほうがよりアイデアを鮮明に表現できることを明らかにした。もちろん、このような手法は彼らより以前から行われていたが、実験的でコンセプチャル、そして詩的なドローイングは世界の建築家たちの関心を惹き、さらに、積極的に大衆誌の広告、漫画、コラージュなどを取り入れたことが、ポップ・カルチャーが認められ始めた60年代の潮流に乗り人びとの共感を得たのである。アーキグラムの活動期間は上記の期間に、1969年モンテカルロ開発コンペを勝ちとり実務設計をしていた1974年までを加えた1961年~1974年とするのが一般的な見解である。今回の回顧展もその期間の作品が集められている。ただし、アーキグラムの活動は流動的であり、いつ始まっていつ終わったをはっきり示すことはできない。また、メンバーもウォーレン・チョーク、ピーター・クック、デニス・クロンプトン、デヴィッド・グリーン、ロン・ヘロン、マイケル・ウェブの6人を基本とするが、プロジェクトにより、そのうちの何人かしか参加しなかったり、逆に一時的に、他の建築家や関係者が加わることもしばしばあった。彼ら自身が言うように「育った環境や性格が違う友人達が集まって議論する場」であり、その時代(特に1969年ごろまでは)、彼らにアーキグラムが建築家グループとして確立されたものであるという意識はなかったはずだ。しかし、このような「あいまいな集団」であったということがアーキグラムの本質を理解する上で最も大切なことだと私は思っている。

日本展によせて

1994年、ウィーンのクンストハレを皮切りに本回顧展はパリのポンピドーセンター、ロンドンのデザインミュージアム、そして、ニューヨーク、台北などを巡り、11年の時を経て、今回、日本では水戸芸術館で行われることとなった。さて本題であるが、まず、私が彼らに問いかけたことは、日本展としての特別な思いはあるか、もしくは、日本での回顧展で特に力をいれたことは何か、というものである。「われわれにとって、日本とオーストリアのふたつの国と最も波長が合うように思います。建築において興味が持て希望があるといつも感じている国はそのふたつです。特に日本はそうで、アーキグラムが活動していたときも、常に、日本を意識していたし、実際、机の上には日本の雑誌や情報がたくさん置かれていた。そういった意味で、意識的にも潜在意識的にも多くの作品が日本の影響を受けています。展示内容が他の展覧会と特に大きく違うということはありませんが、日本で実現することとなり、特別にエキサイティングな気分です」日本に対する彼らの思いは大きいようであった。遥々、イギリスやアメリカからアーキグラムの生存している4人全員が来日し展示構成を監督したという意気込みからもそれがわかる。そしてわれわれにとっては、彼らが世界の中でも日本は希望が持てる国だと言っていることは大変うれしいことである。確かに、世界を見渡し比較するとこんなに自由でおもしろい建物をつくることが許されている環境は少ないのかも知れない。もうひとつオーストリアを挙げたのは、彼らにとっては本回顧展をスタートできた国であり、ピーターの現実の建物(本格的な公共建築として初めて実現したもの)である「クンストハウス・グラーツ」(a+u 0401)がほぼ彼のアイデアが損なわれない形で一昨年竣工できたということも影響しているようだ。

アーキグラムの60年代

次に、アーキグラムの成り立ちや初期の状況を聞いた。60年代、日本ではメタボリズムという考えが色濃く建築界を支配していたが、アーキグラムはどういうスタンスにいたかという質問と共に。 「イギリスもそのころは新しい都市や建築をつくる計画にあふれていました。ロンドンに多くの人々が流入し、街自体を変える必要があったのです。われわれは昼は設計事務所や建設会社で働き、コンクリートやPC技術がどうあるべきかなど実務的な仕事に従事していました。そして夜は、それらの現実的、生産的な建築に疑問を持っていた連中がどこかで集まり、もっと違った建築形態はないかと模索していたのです。 膜により空間を覆う方法、プラスチックにより部屋を形づくる方法、吹付け材でもっと自由な形ができないか、などを話していました。これがアーキグラムの初期の形態です。 しかし、それらの発想は決してお絵かきだけで終わるものではありませんでした。実際、建てるとなるとどのような問題点があり、また、それをどう解決すべきかということに多くの時間を割いたものです。 街には同じような建物が壊されてはあふれるようにできる現実に、これではおかしい、何をすべきかというプレッシャーでいっぱいでした」 アーキグラムのドローイングは決してお絵かきではない。常にプラクティカルな姿勢が基本にある。そのことを彼らは次のようにも表現していた。「アーキグラムやセドリック・プライスは建築から外れたところにいる、とそのころよく言われました。しかし、われわれはまったくそのように考えておらず、建築を実務的に考えていた。ただ建築の枠を広げたかったし、少し飛び出したかったのです。 勘違いされたのは、そのころのフランスの建築家たちが示したアイデアによるところが大きいと思います。彼らは抽象的で実際建てることよりも形ばかりで空想的だった。われわれはドローイングの中で手摺や便所やエスカレータの勾配など細かい収まりまで考えいたが、彼らはほんとうにお絵かきだった。しかし、表面的に彼らとわれわれの考えが似ているように見え、勘違いされたのでしょう」

新しい建築の言語

そして、アーキグラムがたどり着いたひとつの答えがある。 「そのころの建築言語はほんとうに少なかったし、建築は制約だらけでした。しかし、そこから飛び出し、建築が空を飛んだり、街を動いたりすることを考えたら、飛躍的に建築言語が増えたのです。その後は、狂ったように来る日も来る日もドローイングを仕上げていきました」 後にこれは『ウォーキング・シティ』『インスタント・シティ』などの形で具体的に表現され、アーキグラムの代表作となった。そして、彼らのすべてのプロジェクトにつながる思想の基本でもある。

時を経て浸透するアーキグラムの意義

そして、アーキグラムの変遷について聞いた。成立後から現在までどのように変わっていったかということについての質問である。いつから有名になったと感じたかということも聞いた。 「有名になるために大切なことは、知ってもらうべき人に知ってもらうこと。われわれにとって鋭いアンテナを持っている磯崎新さんに早い時期にキャッチしてもらえたことが大きい。 普通に考えれば、われわれのやっていることは建築じゃなくてただの空想、付いていけないよ、といったところだと思う。しかし、わかる人が見ればその意義がわかるし、それがキャッチされたから今のわれわれがあるのだと思います」 今となっては彼らの考えは十分に建築言語で説明できるが、その時代、常識的には彼らの発想はただ奇抜で建築の領域から外れるものだと見られてしまったと思う。磯崎新氏が彼らを発見し最初に日本で紹介したことの意義を話していた。 「その後、徐々に世間から知られるようになったが、特にブームというものがあるわけでもない。じわじわと浸透していったというところではないだろうか。そして1993年に今回の回顧展の話しが持ち上がったのだと思います」

若き建築家に向けて

最後に最近の日本の建築について、特に若い建築家についてどう思うか、という質問を投げかけた。4人が座りなおし目が輝いたのを確認した。そして、そこにある日本の雑誌を開きながら作品のクリティシズムが始まった。 「これも退屈。それも退屈…。いや、退屈というよりは日本の建築に対するわれわれの期待感が大きいだけなのかも知れない。スマートでクールな建物は多いが、何だか物足りないのはそのせいだろうか。 日本は以前より経済状況が下降したとはいえ新しい建築を建てられる環境が他の国々より整っています。にもかかわらず、インベンティブな建物が見られないのはなぜか? もっと面白い建物がつくれるはずだし、そうしなければならない」 彼らの力強い言葉は70という歳を全く感じさせない。具体的な内容はこの誌面には納まりきらないが、経済的そして個別の事情があるにしてもそれを超え実験的な建物を実現することができるはずだと強調していた。 そして、若い建築家へのアドバイスとして、互いに刺激しあえるよい仲間を作ることが大切だと語った。 「われわれはアーキグラムのみんなと常に競争していたし、セドリック・プライスとも仲間として仕事をした。それらの関係がなければ、これらのプロジェクトは存在しなかった。アーキグラムの真髄はよい仲間の集団であるということです」 若い世代に革新のエネルギーを与え続けるアーキグラムは今やそれぞれの大学で建築学を教える「偉大な教育者集団」でもある。そして、密度の濃いドローイングや模型や映像で構成された本展覧会自体が次世代の建築家へのチュートリアルなのかもしれない。